2020-04-02 第201回国会 衆議院 本会議 第14号
(拍手) 志村けんさんの訃報は国民に衝撃をもたらしました。我が国では、既に六十人の方が亡くなっています。その命のとうとさに変わりはありませんが、テレビを通じて長年なれ親しんできた国民的コメディアンの訃報に接し、新型コロナの恐ろしさを身近に感じた人も多かったはずです。御遺族の方は、衛生上、最後のお別れもできず、御遺骨も拾えなかったと聞きます。
(拍手) 志村けんさんの訃報は国民に衝撃をもたらしました。我が国では、既に六十人の方が亡くなっています。その命のとうとさに変わりはありませんが、テレビを通じて長年なれ親しんできた国民的コメディアンの訃報に接し、新型コロナの恐ろしさを身近に感じた人も多かったはずです。御遺族の方は、衛生上、最後のお別れもできず、御遺骨も拾えなかったと聞きます。
そうしたやさきに、思いも寄らぬ訃報に接し、言い尽くせぬ驚きと深い哀惜の念を禁じ得ません。ましてや、御家族を始め、関係者の皆様の深い悲しみに思いをいたすと、御心中はいかばかりかと察するに余りあり、お慰めする言葉もございません。 私は、ここに、皆様の御同意を得て、議員一同を代表して、謹んで哀悼の言葉を申し上げたいと存じます。
三十分時間をいただきましたので、早速質疑を始めたいと思いますが、昨日、アフガニスタンで、中村哲医師の訃報に接しました。医療支援だけでなく、さまざまな広い範囲での人道支援をされております中村哲医師の訃報に接しまして、心よりお悔やみを申し上げたいというふうに思っております。
政治家としてより一層の活躍が期待されていた中での余りにも早過ぎる訃報は今もって信じがたく、ましてや御遺族の御心痛はいかばかりか、お察しするに余りあり、お慰めの言葉もございません。 私は、ここに、皆様の御同意を得て、議員一同を代表し、謹んで哀悼の言葉を申し述べたいと存じます。 宮川典子さんは、昭和五十四年四月、宮川家の父節也様、母晴美様の長女として東京でお生まれになりました。
また、島田先生の訃報には本当にびっくりしました。改めて、島田先生の御逝去に哀悼の意をささげるとともに、心から御冥福をお祈りいたしたいと、こういうふうに思います。 それじゃ、質問に入らせていただきます。 まず、電波法改正の方でございますけれども、私はもう前から何度もソサエティーファイブについて質問させていただいております。
ところが、ゴールデンウイークに入る三日前、八階のトイレで擦れ違って、なるほど、車椅子であったけれどもお元気そうで、目くばせをしながら、ああ、お元気だなとほっとしたんですが、昨日その訃報に触れまして大変ショックを受け、悲しみを覚えております。 先生の御冥福と同時に、御遺族様と悲しみを共有していきたいと思います。哀悼の黙祷をささげたいと思います。
政治家として一層の御活躍が期待されていたやさきの、思いも寄らぬ訃報に、ただただ言葉を失うとともに、今もって信じがたい思いであります。ましてや、御遺族皆様のお悲しみはいかばかりかと察するに余りあり、お慰めの言葉もございません。 私は、ここに、皆様の御同意を得て、議員一同を代表し、謹んで哀悼の言葉を申し述べたいと存じます。
そんなやさきの突然の訃報を、私はにわかには信じることはできませんでした。 翌日、赤坂宿舎をお訪ねすると、先生は静かに眠るように横たわっておられました。奥様の幸子様は、主人は最後まで、俺は必ず復帰すると言っておりましたと話しておられました。 まだまだ政治家としてやりたいことがあったのだと思います。志半ばに倒れられたことは、まことに痛惜の念にたえません。
拉致被害者の御家族の皆さんが亡くなられていくという訃報もありました。心から御冥福をお祈りしたいというふうに思いますし、解決待ったなしという思いを強くしているところであります。家族と共に暮らしたいという思いは当然の思いだというふうに思いますし、その家族、命ということについて私も考えざるを得ないというふうに思っております。
十五日未明に緊急入院されてから三日、余りにも突然で思いも寄らぬ訃報に、言いようのないショックと、なぜ、どうして、本当にという思いが錯綜し、にわかには信じることができませんでした。 入院のお見舞いに伺う手はずをしていた中での突如の訃報でした。翌日の夜、山古志の御自宅に伺いました。長島さんは静かに横たわっていました。
よわいまだ六十、政治家として一層の御活躍が期待されていたやさきに突然の訃報に接しましたことは、まことに哀悼痛惜の念にたえません。 また、真奈美夫人を初め御遺族皆様の御心情はいかばかりかと存じ、お慰め申し上げるすべもありません。 私は、ここに、皆様の御同意を得て、議員一同を代表して、先生の御遺徳をしのび、謹んで哀悼の言葉を申し述べたいと存じます。
まず冒頭、三笠宮崇仁親王殿下の御訃報に接し、謹んで御冥福をお祈りいたしますとともに、心から哀悼の意を表させていただきたいと思います。 きょうは、質問の機会をお与えいただきまして、ありがとうございます。 TPPに関しまして、これまで比較的議論がやや手薄だと思われる知的財産分野、そして中小企業分野を中心に質問をさせていただきたいと思います。
民進党最初のバッターでございますので、私の方からも、三笠宮崇仁親王殿下の御訃報に接し、民進党を代表して、謹んで心から哀悼の意を表しますとともに、心より御冥福をお祈りいたしたいと思います。 さて、総理、きのう地方公聴会がありまして、私、北海道に行ってまいりました。そこでいろいろな意見が出ましたけれども、一番多かったのは、やはりまだ中身がよくわからないという声が非常に多かったわけです。
○安倍内閣総理大臣 質問にお答えをする前に、冒頭、まず、三笠宮崇仁親王殿下の御訃報に接し、悲しみの念にたえません。 殿下には、昭和時代からの長きにわたり、昭和天皇及び今上陛下を助けられ、国の平和と国民の福祉のために貢献してこられました。
そうすると、この税金も入っている資金から、大臣が恐らく見知らぬ人もあるだろう、新聞に訃報が載った人には全部弔電を打つという支出は別に何ら反省することもないと、こういうお考えですか。
新聞社の方は、新聞に訃報を載せると、その載った訃報の方にもう頼まれなくても自動的に全部弔電を打つと、こういうサービスをやっている。こういうサービスを利用して、この福井新聞の記事に訃報が載った選挙区内の人には全員に自動的にあなたと面識がない方にも弔電を打っていた、こういうことじゃないですか。
————————————— 町村信孝前衆議院議長の突然の訃報に接し、誠に哀悼痛惜の念に堪えません。 本日午後四時半過ぎに、奥様から訃報のご連絡を頂きました。同期の友人として、約三十二年間、ともに国政について語り合いながら今日まで来たことが、走馬灯のように一瞬思い起こされ、言葉も出ませんでした。
大変残念なことに、このたびお亡くなりになられたわけでありますが、こうした訃報を受けて、世界各国のリーダー、指導者が大変大きな反応を示しています。こうした各国の大きな反応を見ましても、リー・クアンユー元首相の存在の大きさを改めて感じるところでございます。 改めて、我が国としても、心から御冥福をお祈り申し上げたいと存じます。
————————————— 田村元元衆議院議長の御訃報に接し、誠に哀悼痛惜の念に堪えません。 田村元議長は、自由民主党の重鎮として重きをなしておられましたが、通商産業大臣等を歴任された後、平成元年六月、衆議院議長に就任され、平成二年一月まで重職の任にあられました。その間、五十五年体制以降初のねじれ国会の中で難しい国会運営を差配され、議長としてのリーダーシップを発揮されました。
桂宮宜仁親王殿下の御訃報に接し、悲しみの念を禁じ得ません。 殿下は皇族として皇室の諸行事に御参列になられるほか、農業及び林業の振興、伝統工芸の支援等、様々な分野にわたり幅広い貢献をしてこられました。 殿下が御自身リハビリにお努めになる中、皇族としての役割を果たされるお姿に、国民は敬愛の念を抱き、御回復を祈っておりましたところ、思いもむなしく御薨去されましたことは、誠に哀惜に堪えません。
突然の訃報に接し、いまだに信じられない思いでいっぱいであります。誠に痛惜哀悼の念に堪えません。 私は、ここに、皆様のお許しを得て、議員一同を代表し、故藤巻幸夫先生の御霊に対し、謹んで哀悼の言葉をささげます。 私が国土交通委員長に就任後、最初の藤巻幸夫先生の質問は、平成二十五年十一月五日でありました。
藤巻幸夫議員の訃報に接しまして、改めて、五十四歳の若さで亡くなられて、極めて残念でございます。心から御冥福をお祈り申し上げたいと思います。 藤巻議員は、質問のたびに、これまでの経験を生かして斬新な発想で様々な提案をしていただきました。私も様々に御教示をいただきました。改めて感謝を申し上げながら、少しでも藤巻議員の志を引き継いでいかなければならない、肝に銘じているところでございます。